ウツ病と統合失調症のうな祐による雑記

長年うつ病でしたが3年前から統合失調症になりました。

七夕は愛犬の命日なんだ

 

 

どうも、うな祐です。今日は七夕。皆さん願い事は短冊に託しましたか?私は託しました。思えば4年前の今日の夜中。愛犬が旅立っていったことを思い出します。看取れたのは運が良かった・・・。そう思います。

想えばいつのころか。左頬にほくろのようなデキモノができたのがきっかけだったんですね。その時はただのデキモノと思っていたといえばウソになります。少なくとも私自身は・・・。

家族はとくに心配してなかったかもしれないですね。あくまで私の印象ですが。しかし、忘れたころになって頬が腫れてきました。歯茎が腫れて歯が抜けはじめました。

これはおかしいと動物病院に連れていきましたが、抗生剤の処方だけでこれといった処置はなかったと思います。

犬種はミニチュアダックスです。患いやすいといわれる腰痛ヘルニアにもかからず、今まで元気に生きてくれていました。気性が荒いのがたまに傷でしたが、少なくとも私を噛むことは一度もなかった雄のダックス。名前をリーヴェといいました。ドイツ語で「愛」。

その名の通りみんなに愛された存在でした。自慢ではないですが、男前な顔立ちだったと思っています。そんな顔が痛々しくなる日々。膿んでくるにしたがい匂いも立ち込めてきます。家族は気にしないフリをし続けました。本犬が察して気にするといけないからです。気落ちさせたくないとのせめてもの配慮でした。また、視線の配り方にも気を使ったのを覚えています。プライドの高かったリーヴェ。視線が腫瘍にいくと気にするそぶりを見せるのでした。

そんななか、ヘタになった腫瘍を足で掻いてしまうリーヴェ。ヘタとともに血がしたたり落ちます。本犬はびっくりして母に見せに行きます。「こんなになったよ!大丈夫?!」そんな声が聞こえてきそうです。母は一生懸命励ましました。「大丈夫。大丈夫!」そう言ってなだめている光景を私は二度見ました。母は我が子のようにかわいがってきました。15歳になる愛犬はいつまでたっても永遠の2歳児でした。母のなだめに落ち着きを取り戻すリーヴェをみて信頼関係というものを感じさせられた思いでした。

そんなリーヴェの体調が2月になって悪くなります。寝たきりになってしまいました。動物病院へ連れていくと、「長くないよ」と言われてしまいました。家族は気落ちしてしまいます。特に私は母と妹が気がかりでした。妹は妊娠中。お腹の子にさわらなければよいなと思ったりしました。

しかし、奇跡的にその後元気になっていく日々。ご飯も食べて自分で歩けます。私たち家族は驚きました。あれはなんだったのだろうと。もう医者に見放されたというのに元気を取り戻したのです。喜び半分驚き半分でした。

そうやって春を無事に過ごしました。妹のお腹も臨月へと近づいてきました。ここで話は脱線しますが、私が精神科に通院し始めたのはこの春の3月の終わりでした。姪が生まれる前に自分の心を穏やかにしておきたかったのです。向精神薬を飲んで鬱病と向き合い始めたのです。

リーヴェも頑張っています。

少なくともお産まで容体を保ち、妹の心配をお産に振り向けることは出来ていたのではないでしょうか。

妹のお産が無事済み、実家に帰省しました。妹はリーヴェに赤ちゃんの匂いを嗅がせました。なんとかここまで持ちこたえてくれたリーヴェ。亡くなるのはそれから2週間後のことです。

七夕の前日、リーヴェは珍しく立ち上がりトイレにおしっこをしに行きました。父が驚いていたとともに涙ぐんでいたのを私は記憶しています。まだそんな体力があったなんてと私は思いました。スポイトで水を含ませてあげましたが飲みませんでした。しかし私はこの時リーヴェが今夜が峠とはなぜか思いませんでした。家族みんながそう思って眠りについたのにです。

七夕の夜。夜中なぜか目が覚めて部屋から出てタバコを吸いに行きました。そして一階のリビングに行きました。リーヴェは両親を左右にして川の字に寝ていました。肩で息をしているようでした。この時私は初めて看取るという意識を持ちました。私もそばで見守りました。一時間半くらいたったでしょうか、リーヴェが急に上ぞりました。私は「リーヴェ!!」そう叫んでいました。母が制止します。呼び戻してこれ以上苦しませたくなかったのだそうです。リーヴェの息が止まりました。というか心臓が止まったという感じでした。

母はしばらく撫でていました。そして二階で寝ている妹を起こしにいきました。私は辛かったのを覚えています。授乳中で睡眠不足の妹にショックを与えたくありませんでした。しかし、しかたありません。妹はいったん素通りして洗面所に行ってしまいました。そして嗚咽しながらリーヴェのもとに向かいました。見ていて辛かったです。そうこうしているうちに段ボール箱を父と私で用意しました。ゴミ袋を段ボール箱にかぶせ毛布を敷き周りに凍ったペットボトルを入れました。いつも左頬を上に向けて寝ていたリーヴェ。その患部は痛々しかったです。亡くなる時も変わらずでした。

段ボールに遺体を入れる際、右頬を上に向けて寝かせてあげました。これで醜い腫瘍は隠れます。男前なリーヴェの姿がそこにはありました。

長いコト左頬を下にできていなかったのです。せめて最後はこうさせてやりたいとのみんなの思いです。

日中には家を出ました。リーヴェと両親と私で。埋葬に行くのです。かわいそうですが祖母と妹は留守です。幼子を連れてはいけませんから。二人は涙して出棺の見送りをしてくれました。

目的地に着き無事埋葬を済ませました。

帰り路は静かでした。私はこの時になってようやく、そういえば七夕かぁ・・・。そう思いながら帰ったのを覚えています。

お読みいただいたかたありがとうございました。