小学生時代を後悔している話
どうも、うな祐です。今回は小学生時代の事を書いてみたいと思います。
テーマはイジメです。
苦手な方は記事を読むのをオススメしません。
では、書いていきたいと思います。
小学5年生。
クラス替えを終えて私は竹田君(仮名)と仲良くなった。
二人で遊ぶことが増えていった。
そんなある日、山田君(仮名)というおとなしい子がいて友達もいなさそうだったので遊びに誘った。
三人で遊んでいるうちに、竹田君は山田君をからかうことが増えていった。
私もそれに乗っかる形でおちょくるということをしたと思う。
しかし、山田君はおとなしくてからかっても手ごたえが無い。
からかいは徐々にエスカレートしていった。
頭を小突いたり、叩いたりし始めた。
それでも山田君は動じない様子だった。
いつしか私たちは蹴ったり叩いたりだけではなく遊具で山田くんを危険な目に遭わせたりしてその行為が過激化していった。
それでも山田君は泣くこともなく、口答えもしない。
いつしか私たちのストレスのはけ口となっていた山田君。
6年生になりクラス替えはなし。
中村君や鈴木君(共に仮名)など友達の輪は広がっていった。その中にいた山田君はずっとおとなしいままだった。
山田君をイジメるのは決まって竹田君と私。
そんなある日、担任の先生に「あんまりやりすぎんなよ?」とだけ言われたことがあった。
私は先生も黙認してくれていると感じた。
そんな感じで季節は過ぎ、中学生になった。
生徒数も増え、みんな友達らがバラバラのクラスになった。
そんなある日、車で送ってもらい登校する生徒を見かけた。
山田君だった。
松葉杖をついている。
少し後でしったのだが、三半規管に障害がでて並行感覚がつかめないため自転車に乗れない。
といった話を聞いた。
当時の私はそうなんだとしか思っていなかった。
しかし、その原因が過剰なストレスによって引き起こされると後に知った。
私は小学生時代を振り返り、原因を作ったのは僕らじゃないか?と思った。
でもそれ以上深く考えてはいなかった。
時は過ぎて社会人になった。
それから今に至るまで思うことがある。
罪悪感だ。
当時なぜあんなにひどいことができたのか。残酷なイジメをしてしまった過去を悔やむようになったのだ。
本人に会って謝りたいとの気持ちもあるが、いまさらどの面さげて謝罪しても遅いと思う。
竹田君も当時を振り返るのはバツが悪そうで、居酒屋で私が話題にすると気まずそうにするのだった。
小学生は残酷
今にして思えば、加減をしらなかったと思う。残酷になれたと思う。
中学以降イジメに関わったことはない。そして中学のイジメと高校のイジメに出くわした経験も正直ない。
だから両者を比べることはできないのだけど、例えば昆虫とかを残虐に殺すとか子供の頃の方が残虐性は高い様に思う。
だからイジメも精神的な行いよりも物理的な行いによるものが必然となる。
やりすぎるのだ。
しかしここで思うことがある。最初に断っておくとこれは綺麗ごとかもしれない。
承知で書くことにする。
好意の反対は無関心。
関りを持とうとするということは関心がるし、好意になりえる。
つまり、何を言いたいかと言えばイジメっことイジメられっこはもしかすると歯車のかみ合いが悪くて起こる友達を逸脱してしまった行為ではないか?ということ。
両者に関心がなければ干渉は起こらない。関わるということは関心がある。もしかしたら歯車がかみあってさえいれば両者は友達だったのではないだろうか。
無関心の人間をイジメることはないと思うのだ。
もちろん例外はあるかもしれない。
例えば不良達によるイジメはちょっと違うかもしれない。
でも仲間外れとか無視したりして精神的にイジメをする子たちはイジメる子を友達として見れたはずだと思う。
なんか理想を語ってスミマセン。
でもイジメは絶対ダメです。
イジメた方ですら心に十字架を背負う。
一生です。
小学生の時の出来事なのにです。
イジメられた方は想像を超えたトラウマを抱えるでしょう。
今日はそんな自分の学生時代の後ろめたい部分を語りました。
お読みいただいたかたありがとうございました。