ウツ病と統合失調症のうな祐による雑記

長年うつ病でしたが3年前から統合失調症になりました。

元カノみたいな人と一昨日14年ぶりに再会した話



どうも、うな祐です。今日は一昨日に14年ぶりに会った元カノみたいな人との話を書こうと思います。

まず、¨元カノみたいな人¨とは?

これはですね。当時その彼女から私はさんざんアプローチされていたのにそっけなかったのです。私は。

そしてヤルことだけはやっていたわけですね・・・。(最低)

弄んでいた自覚はなく、ただ付き合わなかっただけといいますか。

言い訳をすると女性不信から彼女を作れなかったわけです。はい。(本当かよ)

でも彼女、ほんと良く尽くしてくれましてね。

それにあぐらをかいていました。

途中からお互い就職もして社会人になり、忙しい日々でも休みに会ったりしていました。

で、泊まりがけのデートが増えました。

結婚してほしいと言われてはぐらかしたりしたこともありました。

私の仕事は毎日夜中までのサビ残業で終始寝不足でしたが休みとなったらデートしていましたね。

そんなこんなで冬になったころ(出会って1年)就寝中の私の携帯を彼女が盗み見したようです。

バレました。はい。

他に女がいました。

でもしばらくの間、彼女は知らぬ存ぜぬを通していたんですね。

私は仕事に疲れ精神的に弱ってきていました。

そしてバレンタインデーを迎えました。

彼女と会いました。

しかし彼女からチョコがありません。

おかしい。

問い詰めると別の男にあげたというではありませんか!

 

私は「は?誰?」内心怒りながら問い詰めます。

 

「浩介。」(仮名)彼女は言いました。

私は後頭部を殴られた思いでした。

浩介・・・。アルバイト時代の後輩です。

 

いつの間にか二人は付き合っていました。

そして私はすべてを悟りました。

 

最近女と突然縁が切れたこと。

しばらく彼女の様子がよそよそしかったこと。

 

私は心の中で激しく嫉妬しました。

後輩に女を盗られた。

そう思いました。

仕事で落ち込んでいる時期にダブルパンチでした。

その後、私たち二人が再開したのは春でした。

私は極度に寝不足の毎日。

いま思えば判断がおかしかったと思います。

彼女に頼み込んで私の誕生日を一緒にすごしてもらいました。

その日はあいにく朝方4時まで残業。

それからラブホテルへいって二人で誕生日を祝いました。

その後、朝から仕事に出掛けるという無茶をしました。

わずか2,3時間のひと時。

私はこの時心に誓っていました。

絶対彼女を取り戻す。

私の中に彼女への愛が芽生えた瞬間だったかもしれません。

それまではバレンタインデーからこっち。

ずっと落ち込むことしかできていなかったと思います。

私は泣きました。

泣きながら元の関係を求めました。

いえ、付き合いたいと言いました。

彼女も泣いてくれました。

そして断られました。

どんな心境で会社に行ったか、その後の記憶はありません。

彼女にプレゼント作戦

社員旅行がありました。

行き先は3つ。

なぜかハワイは私含む4人だけで行きました。

そう、会社で問題児の先輩メンツと私だけです。

私は旅行幹事をしていたのでとり仕切りますが、言う事を聞いてくれません。

ある時は街中で私一人放置されました。

生まれて初めての海外旅行でこうなるとは思いもよらなかったことです。(寂しかったなぁ)

そんな旅行の土産で私は彼女のためにブランドの財布を買いました。

まだ日本では発売していないやつです。

一番人気は売り切れだったので二番人気の財布を買いました。

帰国して次の休日。

プレゼントを渡す口実に彼女と会いました。

彼女は大変喜んでくれました。

私は彼女をくどいていました。

ずるい女で構わない。

俺ともう一度関係をもってくれと。

この時、私が会社に辞表をだす一月前。

辞表は家族の勧めでようやく書けました。

その時の私はというと自殺願望が芽生え、会社を去るという方法すら思いつかないほど追い込まれていました。

彼女に都合の良い男を演じることを決めたのもこの時期です。

彼女にとっては誘惑だったでしょう。

そしてその誘惑は成功しました。

その日から三角関係が生まれたのでした。

 

 

 

彼女の誕生日

 

夏になりました。

私は無事会社を退職していました。

といっても辞表から2か月は辞めさせてもらえず、退職が夏になってしまいました。

そして彼女の誕生日が近づきます。

去年の誕生日は遊園地で過ごし、その後ホテルに泊まりました。

その時彼女の結婚願望を聴かされたのでした。

今年の誕生日。

彼女はその遊園地、浩介と一緒に過ごすそうです。

しかも花火ショーも楽しむのだとか。

私は複雑な思いで長野のいとこのアパートに身を寄せていました。

いとこが彼女にプレゼントするための店をいくつか紹介してくれました。

嬉しかったです。

複数のプレゼントを買い込み、一つの袋に詰め合わせました。

帰りの電車にゆられ、遊園地の傍を通ります。

今頃二人はあの遊園地で過ごしているはずだと思い眺めていると泣けてきました。

帰宅した翌日の夜。彼女は私と会ってくれる約束をしています。

バースデーケーキを店で買う時、「メッセージはどうされますか?」と聞かれ、なぜか顔が赤くなりました。

本当はラブコールを書いてもらいたいけど・・・。

彼女の名前と誕生日おめでとう!とだけにしておきました。

早速その夜彼女と会いました。

でもなぜか彼女の友達(私の知り合い)もいます。

私は複雑な思いをしました。

二人きりになれないのかと・・・。

気を取り直します。

バースデーケーキを取り出し、彼女を祝います。

今日は誕生日の翌日・・・。

でも、精いっぱいお祝いしたかったのです。

何しろ二十歳の誕生日。

特別です。

私はケーキを慎重に切り過ぎました。

友達がじれったそうにしているのが伝わってきます。

包丁が冷たいので切りにくかったことを覚えています。

三人でケーキを食べました。

正直、味は覚えていません。

彼女の食べる姿に全神経を集中させていましたから。

ケーキも食べ終わり、いよいよプレゼントの出番です。

車内での携帯置きのリラックマのぬいぐるみ、etc.

車のキーホルダー(ブランドもの)

最後にピアス・・・。

私のプレゼントの詰め合わせの中で一番安かったのがピアスでした。

でも、私の目的はピアスでした。

どういうことか?

そう、彼女の耳にはピアスの穴はありません。

今から穴を開けるということです。

彼女を説得します。

「二十歳の記念に開けようよ!痛くないから。」

そう私は彼女に言い聞かせました。

うなずく彼女。

私は画鋲と消しゴムを用意していました。

過去に自分や人にこの方法で開けてあげたことがあるのでピアッサーよりも良いと思いました。

でも本心は穴を開けるときに¨念¨を込めたかったからかもしれません。

彼女の右耳たぶの裏に消しゴムをあて一気に画鋲を突き刺しました。

彼女は悲鳴をあげました。

痛かったようです。

左耳はもう断念すると言いだしました。

仕方なく、片方のピアスだけで我慢しました。

これもまた、うまくピアスが入らなくて友達をイラつかせたと思います。

こうして私の目的は果たされたのでした。

 

 

彼女は遠距離恋愛中、私は無職。

 

私は無職になって秋を迎えました。

時間はたっぷりあります。

ベースを弾いたり、色鉛筆画を描いたり。

毎日をぼーっと過ごすことも。

しかし、そんな余裕も長くは続きませんでした。

彼女は遠距離恋愛中。夏休みは終わったのです。

彼氏の浩介は専門学生。秋には名古屋へ帰ります。

私の心のゆとりはこの二人の距離感に比例しました。

夏休みは終わった。

二人の距離は遠のいたのです。

が、しかし今度は彼女が仕事休みの日を彼氏のアパートへの泊まり込みに変えたのです。

彼女との距離感が増したのは私の方でした。

物理的には二人の日常は離れている。

なのに休みとなれば二人は会う。

私は日ごろから会えず、彼女の休みにも会えない。

距離は近いのに・・・。

残酷な事態です。

私は嫉妬心を募らせていきました。

いつの間にか¨彼女の都合の良い男¨という役目を忘れかけていました。

 

そんな彼女ともたまに会えました。

その時からです。

私は彼女に避妊をしなくなりました。

征服欲の塊と化してしまっていたのだと思います。

時に浩介との事後の彼女の体を求めることもありました。

彼女がどう思っていたかは知るすべもありませんが・・・。

私の心はどす黒い何かに覆われていたとおもいます。

嫉妬、憎悪、支配欲、屈辱、卑屈、劣等感、汚辱

何もかもがないまぜです。

そして、彼女に暴言を吐き、暴力を振るうまでになっていきます。

彼女が過呼吸を起こしたとき我に返ったのも最初のうちだけ。

二度目の時にはそのまま放置しました。

もはやこんな醜い自分が潜んでいたなんてことに自分でも驚きました。

彼女は私を恐れていたかもしれません。

彼女はもはや私と会うことは私からの呼び出しに過ぎなかったのかもしれない。

後になって気づいたことです。

彼女が新しい車に乗せてくれました。しかし、彼氏の浩介を最初に乗せてからでした。

食べに行きたい店は浩介と先に行かれていました。

小さなことが積もり積もって私の精神はおかしくなっていったのです。

そんな危うい三角関係も終わりが近づいてきます。

春になりました。

私はうっかり彼女の危険日に避妊をしませんでした。

後になって悔やみ、思わず神社のハンカチ落としで厄払いの時に祈ってしまいました。

 

私の誕生日。

 

 

彼女のおごりで県外ドライブデートをしました。

朝食を回転寿司で食べました。この店とは他店になりますが、私たちが出会ったアルバイト先はこの店の隣の市の店舗でした。

食事中、彼女と口論になってしまいます。

その時でした。

買って間もない腰のベルトが弾けるように切れました。

あり得ない・・・。

そんなはず、というか起こるべき現象じゃないだろと。

不吉を感じました。

今にして思えばここで彼女との縁が切れることを暗示していたのかもしれません。

食後、彼女の車を私の運転で県外へと向かいました。

彼女はどうやらふて寝をしている様子。

散々な誕生日の祝われかたです。

県外にでると早速服屋を探しました。

ベルトを買うためです。

(このベルト。切れたベルトより貧弱な作りのクセに今現在14年経っても現役です。)

気を取り直してデートを続けたいところ、彼女はどうやら疲れていたのかほんとに寝てしまいます。

これはデートと呼べるのか。

でも寝かしつけておきました。

午後も夕方に差し掛かりようやく起きた彼女。

夕食はイタリアンレストランです。

でも店は静か。

客も一組だけ。

そして私たちも静かでした。

店を後にし、スーパーで買い出しをし、ラブホテルへ向かいました。

私は芋焼酎をロックで煽ります。

そして中途半端に彼女を抱きました。

途中でやめてテーブルに戻り、また芋焼酎をあおります。

彼女もテーブルにつきました。

しかし、彼女から私が無職のままなのを咎められます。

私は彼女をベッドにほおって蹴り倒したのです。

しかし、顔までは殴れません。

怒りを壁にぶつけました。

右こぶしは血だらけ。

壁は大穴が開きました。

地面に散らばる石膏ボードの塊。

彼女は過呼吸をおこしながらも私を制止することばを投げかけます。

私の耳には届いていませんでしたが・・・。

その後の事はあまり覚えていません。

ただ、彼女が寝静まってから一人、自慰をしました。

最低の誕生日です。

もはや屈辱にまみれてしまいたかったのでしょう。

一人さみしく済ますと、私も彼女の隣で眠りにつきました。

朝、手の痛みで起きたのを覚えています。

ホテルで朝食をとってから私の運転で帰りました。

ハンドルを持つ右手が痛みます。

こんな時、車がATなら助かったのに。

そう内心思いながら彼女の車を走らせ家路に着きました。

そして彼女に縁を切ることを告げました。

 

 

彼女の妊娠発覚

 

あれから半月。彼女から突然話があると言ってきました。

二人は会う事になりました。

そして彼女から妊娠しているのと告げられます。

 

私はすっかり忘れていたのです。三月の終わり。危険日に避妊しなかったことを。

ハッとなりました。

産む気があるか問い詰めます。

内心ドキドキしました。責任をとるつもりはあったのです。

彼女は堕胎するといいました。

私は半分安心、半分ショックでした。

自分を否定された感があったのです。

私は半分の責任を彼氏の浩介に押し付けました。

こうすれば二人は別れるという確信がありました。

三角関係をぶち壊す。

彼女の妊娠すら私は浩介と彼女の間を引き裂くために利用したのです。

そして浩介と私で堕胎費用を出しました。

二人は案の定別れることになりました・・・。

こうして私の恋愛はすべてをぶち壊して終わりをつげました。

 

その後の14年間。

 

 

私の心の片隅には後悔がありました。

彼女に憎まれているだろうとの思いがどこかにありました。

しかし、私もまた彼女に憎しみの様な物をもってしまっていました。

しかし、憎しみは愛情の裏返しということに何年も気づきませんでした。

であるならば彼女は私を憎むのではなくただ恨んでいるのかもしれないと思うようになりました。

私はアルバイトや派遣業を転々とし、だんだん精神が苦しくなっていきました。彼女との恋愛中や仕事を退職したころには既にうつ病だったのだと気づくのに時間がかかりました。

妹の勧めで心理カウンセリングを受けてみて、自分は社会不適合者だと気づかされました。

引きこもっては働いて、また引きこもる。

気づけば経験した職種は十数社。本格的に引きこもりになりました。

そんななか妹が妊娠。姪に会うためには私は心穏やかでないといけないと思い、これまで避けてきた精神科を受診するに至ります。

通院生活の中でその後統合失調症を患うのですが、その話はまた今度。

私は去年までずっとガラケーでした。

しかし、さすがにスマホを持つことにしたのです。

LINE、Twitter,Facebook,Instagram片っ端から登録してみました。

すると彼女のInstagramを発見しました。

そこには浩介と彼女の結婚式。二人の子供に恵まれていました。

私は激しく後悔しました。

二人の仲を引き裂いた自分によって二人の結婚が10年近く遅れたのではないかと・・・。

そんなある日、偶然彼女にアポイントメント?をとるボタンを押してしまったのです。

彼女から返信がきました。友達登録を図らずしもしてしまったのです。

その後月日が流れ私の誕生日になりました。

彼女は祝のメッセージをくれました。

しかし、私はそれを無視してしまいました。

精神的にキツくてそれどころではなかったんですよ。

しかし、6月10日を境に体調がみるみるよくなり気力もおのずと湧いてきました。

そこで思い切って彼女に連絡をとりました。

彼女からすぐ返事がきました。

「生きとったの?」と言われてしまいました。

彼女と何度かメールをしました。

そして7月6日、彼女が友達(二十歳の誕生日の時にいた友達)とランチをしているとのこと。

なんでもその友達が来年店を出すとかでその備品のカタログを見せてほしいとのこと。

私の実家は商いをしており、カタログがあります。店にカタログを見に行きたいと言われて会う事になりました。

 

 

14年ぶりの再会

 

私は急遽ひげを剃りました。

短パンを長ズボンに変えます。

ほどなくして二人が店にきました。

マスクをしていて目元しかわかりませんが懐かしい!それが第一印象でした。

雰囲気は変わっていませんでした。

私はあらかじめ広げてあったカタログを友達の子にみせ、商談をしました。

彼女は静かにたたずんでいるだけ、たまらなくなりマスクを取ってくれるよう頼みました。

マスクで表情が分からないので無口だと尚の事わかりません。

彼女だけがマスクを取ってくれました。

(え?怒ってる!)そう感じてしまいました。

しかし、良い意味で変わっていなかったのが驚きでした。

寝不足で目の下にくまができていましたが・・・。

変わっていませんでした。

結局友達の子と商談して品物を購入してもらい、カタログを渡して帰ってもらったわけですが。

これといって彼女と会話していない。(汗

メールでのやり取りの時は普通だったのにまったくといっていいほど会話にならなかったです。

しかし、帰った後のメールは普通でした。

というか夜中までメールしてました。

あれはなんだったのだろう?

女ごころはよくわかりません。はい。

以上長くなりました。

お読みいただいたかたありがとうございました。