ウツ病と統合失調症のうな祐による雑記

長年うつ病でしたが3年前から統合失調症になりました。

元カノみたいな人と一昨日14年ぶりに再会した話



どうも、うな祐です。今日は一昨日に14年ぶりに会った元カノみたいな人との話を書こうと思います。

まず、¨元カノみたいな人¨とは?

これはですね。当時その彼女から私はさんざんアプローチされていたのにそっけなかったのです。私は。

そしてヤルことだけはやっていたわけですね・・・。(最低)

弄んでいた自覚はなく、ただ付き合わなかっただけといいますか。

言い訳をすると女性不信から彼女を作れなかったわけです。はい。(本当かよ)

でも彼女、ほんと良く尽くしてくれましてね。

それにあぐらをかいていました。

途中からお互い就職もして社会人になり、忙しい日々でも休みに会ったりしていました。

で、泊まりがけのデートが増えました。

結婚してほしいと言われてはぐらかしたりしたこともありました。

私の仕事は毎日夜中までのサビ残業で終始寝不足でしたが休みとなったらデートしていましたね。

そんなこんなで冬になったころ(出会って1年)就寝中の私の携帯を彼女が盗み見したようです。

バレました。はい。

他に女がいました。

でもしばらくの間、彼女は知らぬ存ぜぬを通していたんですね。

私は仕事に疲れ精神的に弱ってきていました。

そしてバレンタインデーを迎えました。

彼女と会いました。

しかし彼女からチョコがありません。

おかしい。

問い詰めると別の男にあげたというではありませんか!

 

私は「は?誰?」内心怒りながら問い詰めます。

 

「浩介。」(仮名)彼女は言いました。

私は後頭部を殴られた思いでした。

浩介・・・。アルバイト時代の後輩です。

 

いつの間にか二人は付き合っていました。

そして私はすべてを悟りました。

 

最近女と突然縁が切れたこと。

しばらく彼女の様子がよそよそしかったこと。

 

私は心の中で激しく嫉妬しました。

後輩に女を盗られた。

そう思いました。

仕事で落ち込んでいる時期にダブルパンチでした。

その後、私たち二人が再開したのは春でした。

私は極度に寝不足の毎日。

いま思えば判断がおかしかったと思います。

彼女に頼み込んで私の誕生日を一緒にすごしてもらいました。

その日はあいにく朝方4時まで残業。

それからラブホテルへいって二人で誕生日を祝いました。

その後、朝から仕事に出掛けるという無茶をしました。

わずか2,3時間のひと時。

私はこの時心に誓っていました。

絶対彼女を取り戻す。

私の中に彼女への愛が芽生えた瞬間だったかもしれません。

それまではバレンタインデーからこっち。

ずっと落ち込むことしかできていなかったと思います。

私は泣きました。

泣きながら元の関係を求めました。

いえ、付き合いたいと言いました。

彼女も泣いてくれました。

そして断られました。

どんな心境で会社に行ったか、その後の記憶はありません。

彼女にプレゼント作戦

社員旅行がありました。

行き先は3つ。

なぜかハワイは私含む4人だけで行きました。

そう、会社で問題児の先輩メンツと私だけです。

私は旅行幹事をしていたのでとり仕切りますが、言う事を聞いてくれません。

ある時は街中で私一人放置されました。

生まれて初めての海外旅行でこうなるとは思いもよらなかったことです。(寂しかったなぁ)

そんな旅行の土産で私は彼女のためにブランドの財布を買いました。

まだ日本では発売していないやつです。

一番人気は売り切れだったので二番人気の財布を買いました。

帰国して次の休日。

プレゼントを渡す口実に彼女と会いました。

彼女は大変喜んでくれました。

私は彼女をくどいていました。

ずるい女で構わない。

俺ともう一度関係をもってくれと。

この時、私が会社に辞表をだす一月前。

辞表は家族の勧めでようやく書けました。

その時の私はというと自殺願望が芽生え、会社を去るという方法すら思いつかないほど追い込まれていました。

彼女に都合の良い男を演じることを決めたのもこの時期です。

彼女にとっては誘惑だったでしょう。

そしてその誘惑は成功しました。

その日から三角関係が生まれたのでした。

 

 

 

彼女の誕生日

 

夏になりました。

私は無事会社を退職していました。

といっても辞表から2か月は辞めさせてもらえず、退職が夏になってしまいました。

そして彼女の誕生日が近づきます。

去年の誕生日は遊園地で過ごし、その後ホテルに泊まりました。

その時彼女の結婚願望を聴かされたのでした。

今年の誕生日。

彼女はその遊園地、浩介と一緒に過ごすそうです。

しかも花火ショーも楽しむのだとか。

私は複雑な思いで長野のいとこのアパートに身を寄せていました。

いとこが彼女にプレゼントするための店をいくつか紹介してくれました。

嬉しかったです。

複数のプレゼントを買い込み、一つの袋に詰め合わせました。

帰りの電車にゆられ、遊園地の傍を通ります。

今頃二人はあの遊園地で過ごしているはずだと思い眺めていると泣けてきました。

帰宅した翌日の夜。彼女は私と会ってくれる約束をしています。

バースデーケーキを店で買う時、「メッセージはどうされますか?」と聞かれ、なぜか顔が赤くなりました。

本当はラブコールを書いてもらいたいけど・・・。

彼女の名前と誕生日おめでとう!とだけにしておきました。

早速その夜彼女と会いました。

でもなぜか彼女の友達(私の知り合い)もいます。

私は複雑な思いをしました。

二人きりになれないのかと・・・。

気を取り直します。

バースデーケーキを取り出し、彼女を祝います。

今日は誕生日の翌日・・・。

でも、精いっぱいお祝いしたかったのです。

何しろ二十歳の誕生日。

特別です。

私はケーキを慎重に切り過ぎました。

友達がじれったそうにしているのが伝わってきます。

包丁が冷たいので切りにくかったことを覚えています。

三人でケーキを食べました。

正直、味は覚えていません。

彼女の食べる姿に全神経を集中させていましたから。

ケーキも食べ終わり、いよいよプレゼントの出番です。

車内での携帯置きのリラックマのぬいぐるみ、etc.

車のキーホルダー(ブランドもの)

最後にピアス・・・。

私のプレゼントの詰め合わせの中で一番安かったのがピアスでした。

でも、私の目的はピアスでした。

どういうことか?

そう、彼女の耳にはピアスの穴はありません。

今から穴を開けるということです。

彼女を説得します。

「二十歳の記念に開けようよ!痛くないから。」

そう私は彼女に言い聞かせました。

うなずく彼女。

私は画鋲と消しゴムを用意していました。

過去に自分や人にこの方法で開けてあげたことがあるのでピアッサーよりも良いと思いました。

でも本心は穴を開けるときに¨念¨を込めたかったからかもしれません。

彼女の右耳たぶの裏に消しゴムをあて一気に画鋲を突き刺しました。

彼女は悲鳴をあげました。

痛かったようです。

左耳はもう断念すると言いだしました。

仕方なく、片方のピアスだけで我慢しました。

これもまた、うまくピアスが入らなくて友達をイラつかせたと思います。

こうして私の目的は果たされたのでした。

 

 

彼女は遠距離恋愛中、私は無職。

 

私は無職になって秋を迎えました。

時間はたっぷりあります。

ベースを弾いたり、色鉛筆画を描いたり。

毎日をぼーっと過ごすことも。

しかし、そんな余裕も長くは続きませんでした。

彼女は遠距離恋愛中。夏休みは終わったのです。

彼氏の浩介は専門学生。秋には名古屋へ帰ります。

私の心のゆとりはこの二人の距離感に比例しました。

夏休みは終わった。

二人の距離は遠のいたのです。

が、しかし今度は彼女が仕事休みの日を彼氏のアパートへの泊まり込みに変えたのです。

彼女との距離感が増したのは私の方でした。

物理的には二人の日常は離れている。

なのに休みとなれば二人は会う。

私は日ごろから会えず、彼女の休みにも会えない。

距離は近いのに・・・。

残酷な事態です。

私は嫉妬心を募らせていきました。

いつの間にか¨彼女の都合の良い男¨という役目を忘れかけていました。

 

そんな彼女ともたまに会えました。

その時からです。

私は彼女に避妊をしなくなりました。

征服欲の塊と化してしまっていたのだと思います。

時に浩介との事後の彼女の体を求めることもありました。

彼女がどう思っていたかは知るすべもありませんが・・・。

私の心はどす黒い何かに覆われていたとおもいます。

嫉妬、憎悪、支配欲、屈辱、卑屈、劣等感、汚辱

何もかもがないまぜです。

そして、彼女に暴言を吐き、暴力を振るうまでになっていきます。

彼女が過呼吸を起こしたとき我に返ったのも最初のうちだけ。

二度目の時にはそのまま放置しました。

もはやこんな醜い自分が潜んでいたなんてことに自分でも驚きました。

彼女は私を恐れていたかもしれません。

彼女はもはや私と会うことは私からの呼び出しに過ぎなかったのかもしれない。

後になって気づいたことです。

彼女が新しい車に乗せてくれました。しかし、彼氏の浩介を最初に乗せてからでした。

食べに行きたい店は浩介と先に行かれていました。

小さなことが積もり積もって私の精神はおかしくなっていったのです。

そんな危うい三角関係も終わりが近づいてきます。

春になりました。

私はうっかり彼女の危険日に避妊をしませんでした。

後になって悔やみ、思わず神社のハンカチ落としで厄払いの時に祈ってしまいました。

 

私の誕生日。

 

 

彼女のおごりで県外ドライブデートをしました。

朝食を回転寿司で食べました。この店とは他店になりますが、私たちが出会ったアルバイト先はこの店の隣の市の店舗でした。

食事中、彼女と口論になってしまいます。

その時でした。

買って間もない腰のベルトが弾けるように切れました。

あり得ない・・・。

そんなはず、というか起こるべき現象じゃないだろと。

不吉を感じました。

今にして思えばここで彼女との縁が切れることを暗示していたのかもしれません。

食後、彼女の車を私の運転で県外へと向かいました。

彼女はどうやらふて寝をしている様子。

散々な誕生日の祝われかたです。

県外にでると早速服屋を探しました。

ベルトを買うためです。

(このベルト。切れたベルトより貧弱な作りのクセに今現在14年経っても現役です。)

気を取り直してデートを続けたいところ、彼女はどうやら疲れていたのかほんとに寝てしまいます。

これはデートと呼べるのか。

でも寝かしつけておきました。

午後も夕方に差し掛かりようやく起きた彼女。

夕食はイタリアンレストランです。

でも店は静か。

客も一組だけ。

そして私たちも静かでした。

店を後にし、スーパーで買い出しをし、ラブホテルへ向かいました。

私は芋焼酎をロックで煽ります。

そして中途半端に彼女を抱きました。

途中でやめてテーブルに戻り、また芋焼酎をあおります。

彼女もテーブルにつきました。

しかし、彼女から私が無職のままなのを咎められます。

私は彼女をベッドにほおって蹴り倒したのです。

しかし、顔までは殴れません。

怒りを壁にぶつけました。

右こぶしは血だらけ。

壁は大穴が開きました。

地面に散らばる石膏ボードの塊。

彼女は過呼吸をおこしながらも私を制止することばを投げかけます。

私の耳には届いていませんでしたが・・・。

その後の事はあまり覚えていません。

ただ、彼女が寝静まってから一人、自慰をしました。

最低の誕生日です。

もはや屈辱にまみれてしまいたかったのでしょう。

一人さみしく済ますと、私も彼女の隣で眠りにつきました。

朝、手の痛みで起きたのを覚えています。

ホテルで朝食をとってから私の運転で帰りました。

ハンドルを持つ右手が痛みます。

こんな時、車がATなら助かったのに。

そう内心思いながら彼女の車を走らせ家路に着きました。

そして彼女に縁を切ることを告げました。

 

 

彼女の妊娠発覚

 

あれから半月。彼女から突然話があると言ってきました。

二人は会う事になりました。

そして彼女から妊娠しているのと告げられます。

 

私はすっかり忘れていたのです。三月の終わり。危険日に避妊しなかったことを。

ハッとなりました。

産む気があるか問い詰めます。

内心ドキドキしました。責任をとるつもりはあったのです。

彼女は堕胎するといいました。

私は半分安心、半分ショックでした。

自分を否定された感があったのです。

私は半分の責任を彼氏の浩介に押し付けました。

こうすれば二人は別れるという確信がありました。

三角関係をぶち壊す。

彼女の妊娠すら私は浩介と彼女の間を引き裂くために利用したのです。

そして浩介と私で堕胎費用を出しました。

二人は案の定別れることになりました・・・。

こうして私の恋愛はすべてをぶち壊して終わりをつげました。

 

その後の14年間。

 

 

私の心の片隅には後悔がありました。

彼女に憎まれているだろうとの思いがどこかにありました。

しかし、私もまた彼女に憎しみの様な物をもってしまっていました。

しかし、憎しみは愛情の裏返しということに何年も気づきませんでした。

であるならば彼女は私を憎むのではなくただ恨んでいるのかもしれないと思うようになりました。

私はアルバイトや派遣業を転々とし、だんだん精神が苦しくなっていきました。彼女との恋愛中や仕事を退職したころには既にうつ病だったのだと気づくのに時間がかかりました。

妹の勧めで心理カウンセリングを受けてみて、自分は社会不適合者だと気づかされました。

引きこもっては働いて、また引きこもる。

気づけば経験した職種は十数社。本格的に引きこもりになりました。

そんななか妹が妊娠。姪に会うためには私は心穏やかでないといけないと思い、これまで避けてきた精神科を受診するに至ります。

通院生活の中でその後統合失調症を患うのですが、その話はまた今度。

私は去年までずっとガラケーでした。

しかし、さすがにスマホを持つことにしたのです。

LINE、Twitter,Facebook,Instagram片っ端から登録してみました。

すると彼女のInstagramを発見しました。

そこには浩介と彼女の結婚式。二人の子供に恵まれていました。

私は激しく後悔しました。

二人の仲を引き裂いた自分によって二人の結婚が10年近く遅れたのではないかと・・・。

そんなある日、偶然彼女にアポイントメント?をとるボタンを押してしまったのです。

彼女から返信がきました。友達登録を図らずしもしてしまったのです。

その後月日が流れ私の誕生日になりました。

彼女は祝のメッセージをくれました。

しかし、私はそれを無視してしまいました。

精神的にキツくてそれどころではなかったんですよ。

しかし、6月10日を境に体調がみるみるよくなり気力もおのずと湧いてきました。

そこで思い切って彼女に連絡をとりました。

彼女からすぐ返事がきました。

「生きとったの?」と言われてしまいました。

彼女と何度かメールをしました。

そして7月6日、彼女が友達(二十歳の誕生日の時にいた友達)とランチをしているとのこと。

なんでもその友達が来年店を出すとかでその備品のカタログを見せてほしいとのこと。

私の実家は商いをしており、カタログがあります。店にカタログを見に行きたいと言われて会う事になりました。

 

 

14年ぶりの再会

 

私は急遽ひげを剃りました。

短パンを長ズボンに変えます。

ほどなくして二人が店にきました。

マスクをしていて目元しかわかりませんが懐かしい!それが第一印象でした。

雰囲気は変わっていませんでした。

私はあらかじめ広げてあったカタログを友達の子にみせ、商談をしました。

彼女は静かにたたずんでいるだけ、たまらなくなりマスクを取ってくれるよう頼みました。

マスクで表情が分からないので無口だと尚の事わかりません。

彼女だけがマスクを取ってくれました。

(え?怒ってる!)そう感じてしまいました。

しかし、良い意味で変わっていなかったのが驚きでした。

寝不足で目の下にくまができていましたが・・・。

変わっていませんでした。

結局友達の子と商談して品物を購入してもらい、カタログを渡して帰ってもらったわけですが。

これといって彼女と会話していない。(汗

メールでのやり取りの時は普通だったのにまったくといっていいほど会話にならなかったです。

しかし、帰った後のメールは普通でした。

というか夜中までメールしてました。

あれはなんだったのだろう?

女ごころはよくわかりません。はい。

以上長くなりました。

お読みいただいたかたありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

七夕は愛犬の命日なんだ

 

 

どうも、うな祐です。今日は七夕。皆さん願い事は短冊に託しましたか?私は託しました。思えば4年前の今日の夜中。愛犬が旅立っていったことを思い出します。看取れたのは運が良かった・・・。そう思います。

想えばいつのころか。左頬にほくろのようなデキモノができたのがきっかけだったんですね。その時はただのデキモノと思っていたといえばウソになります。少なくとも私自身は・・・。

家族はとくに心配してなかったかもしれないですね。あくまで私の印象ですが。しかし、忘れたころになって頬が腫れてきました。歯茎が腫れて歯が抜けはじめました。

これはおかしいと動物病院に連れていきましたが、抗生剤の処方だけでこれといった処置はなかったと思います。

犬種はミニチュアダックスです。患いやすいといわれる腰痛ヘルニアにもかからず、今まで元気に生きてくれていました。気性が荒いのがたまに傷でしたが、少なくとも私を噛むことは一度もなかった雄のダックス。名前をリーヴェといいました。ドイツ語で「愛」。

その名の通りみんなに愛された存在でした。自慢ではないですが、男前な顔立ちだったと思っています。そんな顔が痛々しくなる日々。膿んでくるにしたがい匂いも立ち込めてきます。家族は気にしないフリをし続けました。本犬が察して気にするといけないからです。気落ちさせたくないとのせめてもの配慮でした。また、視線の配り方にも気を使ったのを覚えています。プライドの高かったリーヴェ。視線が腫瘍にいくと気にするそぶりを見せるのでした。

そんななか、ヘタになった腫瘍を足で掻いてしまうリーヴェ。ヘタとともに血がしたたり落ちます。本犬はびっくりして母に見せに行きます。「こんなになったよ!大丈夫?!」そんな声が聞こえてきそうです。母は一生懸命励ましました。「大丈夫。大丈夫!」そう言ってなだめている光景を私は二度見ました。母は我が子のようにかわいがってきました。15歳になる愛犬はいつまでたっても永遠の2歳児でした。母のなだめに落ち着きを取り戻すリーヴェをみて信頼関係というものを感じさせられた思いでした。

そんなリーヴェの体調が2月になって悪くなります。寝たきりになってしまいました。動物病院へ連れていくと、「長くないよ」と言われてしまいました。家族は気落ちしてしまいます。特に私は母と妹が気がかりでした。妹は妊娠中。お腹の子にさわらなければよいなと思ったりしました。

しかし、奇跡的にその後元気になっていく日々。ご飯も食べて自分で歩けます。私たち家族は驚きました。あれはなんだったのだろうと。もう医者に見放されたというのに元気を取り戻したのです。喜び半分驚き半分でした。

そうやって春を無事に過ごしました。妹のお腹も臨月へと近づいてきました。ここで話は脱線しますが、私が精神科に通院し始めたのはこの春の3月の終わりでした。姪が生まれる前に自分の心を穏やかにしておきたかったのです。向精神薬を飲んで鬱病と向き合い始めたのです。

リーヴェも頑張っています。

少なくともお産まで容体を保ち、妹の心配をお産に振り向けることは出来ていたのではないでしょうか。

妹のお産が無事済み、実家に帰省しました。妹はリーヴェに赤ちゃんの匂いを嗅がせました。なんとかここまで持ちこたえてくれたリーヴェ。亡くなるのはそれから2週間後のことです。

七夕の前日、リーヴェは珍しく立ち上がりトイレにおしっこをしに行きました。父が驚いていたとともに涙ぐんでいたのを私は記憶しています。まだそんな体力があったなんてと私は思いました。スポイトで水を含ませてあげましたが飲みませんでした。しかし私はこの時リーヴェが今夜が峠とはなぜか思いませんでした。家族みんながそう思って眠りについたのにです。

七夕の夜。夜中なぜか目が覚めて部屋から出てタバコを吸いに行きました。そして一階のリビングに行きました。リーヴェは両親を左右にして川の字に寝ていました。肩で息をしているようでした。この時私は初めて看取るという意識を持ちました。私もそばで見守りました。一時間半くらいたったでしょうか、リーヴェが急に上ぞりました。私は「リーヴェ!!」そう叫んでいました。母が制止します。呼び戻してこれ以上苦しませたくなかったのだそうです。リーヴェの息が止まりました。というか心臓が止まったという感じでした。

母はしばらく撫でていました。そして二階で寝ている妹を起こしにいきました。私は辛かったのを覚えています。授乳中で睡眠不足の妹にショックを与えたくありませんでした。しかし、しかたありません。妹はいったん素通りして洗面所に行ってしまいました。そして嗚咽しながらリーヴェのもとに向かいました。見ていて辛かったです。そうこうしているうちに段ボール箱を父と私で用意しました。ゴミ袋を段ボール箱にかぶせ毛布を敷き周りに凍ったペットボトルを入れました。いつも左頬を上に向けて寝ていたリーヴェ。その患部は痛々しかったです。亡くなる時も変わらずでした。

段ボールに遺体を入れる際、右頬を上に向けて寝かせてあげました。これで醜い腫瘍は隠れます。男前なリーヴェの姿がそこにはありました。

長いコト左頬を下にできていなかったのです。せめて最後はこうさせてやりたいとのみんなの思いです。

日中には家を出ました。リーヴェと両親と私で。埋葬に行くのです。かわいそうですが祖母と妹は留守です。幼子を連れてはいけませんから。二人は涙して出棺の見送りをしてくれました。

目的地に着き無事埋葬を済ませました。

帰り路は静かでした。私はこの時になってようやく、そういえば七夕かぁ・・・。そう思いながら帰ったのを覚えています。

お読みいただいたかたありがとうございました。

 

 

 

うなぎ大好き!!今月は土用の丑だね♪

 

 

 

 

 

さあうなぎの季節が来ますよ。どうも、うな祐です。私のドメイン名うな祐はうなぎと自分の名前をくっ付けて作りました。うなぎ好きすぎて一時期うなぎを飼育したりもしていましたよ。名前は「う奈ちゃん」女の子。でも病気で死んでしまい、今はいません。

う奈はもともとうなぎ釣りで獲った大きなうなぎでした。背中に少々深い傷を負っていたので飼育して療養させてあげるのが飼うきっかけとなりました。生き餌の金魚をばくばく食べてくれましたね。死んだ餌は絶対に食べてくれませんでした。いつのまにか背中の傷も治っていったのを覚えています。

水槽の水換えの時など、大人しくバケツに移ってくれたのを思い出します。うなぎってなつきます!!とても賢くて嗅覚が優れていて夜行性です。

そんなうなぎ愛のうな祐ですが、やっぱり一番好きなのは食べる事(^^♪

いままで、延縄、付け針、穴釣り、竿釣り、うなぎ筒等を使ってうなぎを子供のころから獲ってきました。

大人になってからは父を見習って自分でうなぎ獲りに出掛けました。

そんなうな祐はついにうなぎ筒を手作りすることに挑戦しました!製作途中の写真がないのが残念です。実は何年か前に独学で作ったものを今回投稿することにしたからです。当時は記念写真の概念がありませんでした。撮っときゃよかったと思ってます。

上からうなぎうげ。うなぎてぼ。塩ビの筒

手が写ってしまってます(汗

筒の入り口、モドラズの部分です。

こんな感じで自作しました。竹は淡竹(はちく)を使用しています。この辺の山には真竹がまず見られません。そこで淡竹という真竹の親戚みたいな竹で、よく茶道の茶筅などに用いられる竹を材料としました。父の知人の山で竹を拝借して作りました。

製作はほとんど鉈を使って行います。小刀も使いますがほぼ鉈ですね。

材料の竹ひごをとるのに労力の7割を使います。編むには残り3割の労力ってところでしょうか。最初は鉈が親指の爪の間に飛び込んで血だらけになったり手をちょくちょく切りました。大変でしたよ。なにより独学でやらなければならず、参考に竹細工の本を図書館で借りて来て、応用する形で仕上げていきました。

 

他に竹ひごの厚みと幅を均一にする道具も手作りしました。

手前が銑引き(厚さ決め)奥が幅決めの道具


こんな感じの道具に刃物を取り付けて竹ひごを通して幅を均一に決め、次に厚みを均一に削ります。

出来上がった竹ひごを使って編んでいくときには7割仕事が終わった感じになります。

竹筒は水に漬けるとぱんぱんに締まり強度が増します。モドラズの口もピッタリ閉まってよい感じになるんですね。それを考慮して編み込むのがコツかなと思います。はい。

うなぎの習性

鰻は夜行性です。普段は砂に潜ったり岩間の穴に潜んでます。でも日中はずっと寝ているというわけでもありません。だから巣穴の入り口に偶然餌がきたりしたら食いつきます!笑 とても貪欲であの細い体からは想像できないほど大きく沢山の餌を食らいます。

遊泳力はとても強く、釣りで釣れるとかなり引きを感じさせてくれます。

餌を獲るときはまるで銛(もり)打ちのように屈伸させた体を急激に伸ばして獲物に食らいつくこともあります。

そんな鰻ですが、目が大変悪く匂いで獲物を探しています。嗅覚はずば抜けていて犬にも負けないくらいです。

うなぎはそもそも深海魚の仲間のようなところがあります。河川をしらすうなぎは遡上しますが、実は多くのうなぎは海で一生を過ごすのかもしれないという研究もあったはずです。うなぎは目が悪くゼラチン質をその身に多く蓄えていることからも深海魚の特性を併せ持っているのかもしれないですね。

そんなうなぎですが、世界一の冒険魚でもあります。体が濡れていれば一週間くらい陸上で皮膚呼吸をして生きられます。そのため雨が降ると川から這い出て田んぼのドジョウを餌にしたり、池に侵入したりします。滝も登ります。ですから、こんなにあらゆるところに進出する魚は他にいないと言ってよいんじゃないでしょうか。

 

天然うなぎの味

 

天然もののうなぎの身は、まず、皮が薄いイメージですね。皮にはあぶらやゼラチン質があまりなく、皮の食感が苦手な女性でも天然うなぎなら食べられると思います。私の母が魚嫌いで、養殖のうなぎは当然食べられないのに天然うなぎだけは「おいしい」と言って食べてくれます。そして皮にクセがありません。身のクセはそのうなぎの獲れた場所によりますが、普通綺麗な水道水で1週間泥吐きをさせてから食べますからクセは無いのが普通です。

身は弾力があり、噛むと歯が弾かれるように噛み応えがあったりします。それでいてあぶらはのっているので絶品ですよ。

どうですか?うなぎ屋さんで食べるふっくらとした触感のうなぎもおいしいですが、やはり天然物を食べてしまうと・・・。

みなさん一度は食べてみたくなったでしょう!でも天然うなぎの数は年々減少傾向。大変貴重です。

こんなわけで全国でうなぎ釣りや筒などを使って個人で獲る人がいて、その人たちは天然うなぎの味を追い求めてるんですね。

私もその一人って?そうかもしれません。今回はうな祐の由来にもさせていただいているうなぎについて書いてみました。お読みいただいたかたありがとうございました。

 

 

 

実家のリフォーム家族でやった(汗 ーその➁ー

リフォーム中

どうも、うな祐です。今回はリフォームの内容について書いていきたいと思います。

なんとか予算を手にすることが出来たわけですが、二次はどこまで自分たちでやれるかを考え段取りを組みました。まず、できないこととして電気の配線工事。水回りの水道工事。クロス貼り。外壁の足場組。外壁のガルバ貼り。こんなところでしょうか。

業者に頼るのは配線工事一日、水道工事一日、足場組半日かからず。クロス貼りが三日といったところ。外壁のガルバ貼りに二日として一週間以内で済みそうです。

後は自分たちで外壁やベランダのペンキ塗り、傷んだ壁の補修。傷んだ床の張替えと台所の取り換え。風呂場はユニットを変えるかどうか思案中でした。他にもインターホンや電球や洗面台補修に鏡など雑多な補修備品の購入と取り付けがあります。

まず、台所から手を付けました。大掃除をして頑固な汚れを落としていきます。これだけで重労働です。ガスコンロはもはやスクラップ同然の見た目。破棄することに。換気扇やその周りも相当に汚かったです。(汗

それら台所周りを掃除してからボードを貼ることにしました。以下に写真貼ります。

掃除前

掃除後

台所リフォーム後



床もフワフワしています。これは雨漏りを長年放置した結果だったそうです。(借主談)

床をめくって張り直し。父の出番です。大工仕事で床に潜り込んで埃まるけで作業してもらいました。床下のつかを切って高さを調節してもらいました。

床を水平に保ちつつべニアを貼っていきます。家族は補佐の役目です。

父が床のリフォーム中

外壁の手が届くところと梯子が届くところだけペンキを塗っていきます。妹がなかなかうまく塗るので、以降妹にまくることにしました。私は壁の汚れ落としや補佐に回ります。母は父の補佐です。

 

お昼はコンビニのおにぎりかパンを食べます。この時だけが唯一の休憩。ついつい根を詰めてしまいます。しかし、梅雨時の改装は堪えます。

ペンキを塗っているとぽつぽつと雨が当たってくることも・・・。

 

家の横の側孔も草が生い茂ってます。桜の木でしょうか?2メートルくらいの高さに茂っています。コンクリートの裂け目から幹を伸ばしていまにもコンクリートを割りそうな勢いです。

これら全部草刈り機を借りてきて除草することにしました。この側孔は我が家の土地ではありませんが、誰もここ何年と除草していません。良い機会だと思いいっそのこと刈ってしまいました。

 

草で側孔が見えません

 

除草後

結構大変でしたが除草が済みました。スッキリです(^^♪

2階のリビングも壁の穴達をふさぎ、ドアもリニューアルしました。

2階リビング

 

こんな感じでリフォームは順調に進んでいます。7月半ばに終われればと思っています。お読みいただいたかたありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

実家のリフォーム家族でやった(汗

リフォーム中


今年に入って借家にしていた実家をリフォームすることにした。借主が退去したのだ。が、これが酷い。中に入ってみると辺り一面の壁に穴が!

階段の手すりは撤去され、洗面台の鏡も無くなっている。お風呂トイレに至っては10年以上掃除が行われなかったのではないかという有様。

障子は全部破れて網戸も取り外されていた。エアコンのリモコンは紛失されていた。

私たち家族は愕然とした。

外観も以前見かけたころ、ベランダがゴミだらけで気にはなっていたのだが、内装も相当痛んでいたわけだ。

私は学生時代をこの家で過ごした。昔の思い出と共になんだか現状を見て悲しくなった。

借主の家族が育ちざかりに付けた傷がいたるところに見受けられた。恐らく壁の穴はストレスで力任せに殴った後と思われる。

家の状態からその家庭がどういった素性か推測できるというものだ。

借主は家主のこちらに連絡も無く離婚していた。(2年後に発覚)

若い夫婦だったが早くから夫が単身赴任で別居状態のなか、子供たちが荒れていったのだろう。

さて、私は家族と一緒に相談し合った。今後どうするべきか?まず、次の借り手を探したいわけだが、このままでは貸せそうにない。

そう、リフォームだ。が、しかし・・・。

「先立つもの。金が無い!!」

これには困った。ざっと業者に見積もらせての諸経費は250万円。

家賃3年分弱の費用をかけてリフォームしてこの先、新たな借り手がつく保証もなし・・・。さぁ弱った。父が一番弱っていたように思う。

母と妹は契約書を片っ端から読んでいた。そして私も協力した。

結論:賠償請求をかける

相手は借主の勤め先となる会社が契約者だった。ややこしいのだが、直接借主に請求はかけられない。

早速相手の会社に連絡をすると、即おかかえ弁護士に対応させるとのこと。

これはこの先大変かもしれないなとみなが思った。

妹ががんばって見積書と請求書を作ってくれた。

私はというと、アドバイスに徹していた。統合失調症の具合からか体調は良くなかった。気力もあまりない。ただ、家族のためになる様に調べたりした。

交渉は一カ月ほどで済んだ。思いのほか素直に代金を振り込んでくれたのだ。

助かった。後はどこまで業者を入れるかだ。

結論:なるべく自分たちでやる

こうなった。そもそも業者の人件費が馬鹿にならないわけで、いっそグレードアップを試みたかった。そのためには自分たち家族で動くしかないわけだ。

一応言っておくと父は元大工だ。が、父一人で出来るはずもなく家族が駆り出されることになったというわけだ。

リフォームの様子は次回伝えたいと思います。お読みいただいた方ありがとうごさいました。

 

 

相次ぐエネルギー高騰のなかこのニュースが・・・。

どうも、うな祐です。初投稿させていただきます。ロシアによるウクライナ侵攻における日本政府のこれまでの対ロ制裁。ロシアからの報復が来ると思っていましたが現実になりましたね。侵攻から4か月経ちましたが、とうとう来たかという感じです。以下に時事ドットコムニュースの記事を引用。

 

サハリン2、ロシアが「接収」 プーチン氏が大統領令―日本商社出資のLNG事業

2022年07月01日18時16分

ロシアのプーチン大統領=6月30日、モスクワ(AFP時事)

ロシアのプーチン大統領=6月30日、モスクワ(AFP時事)

  • 【図解】サハリン2鉱区

  • 液化天然ガス(LNG)基地(上)からLNG運搬船「グランド・アニワ」号に延びる積み出しのパイプ=2009年2月、ロシア極東サハリン州のプリゴロドノエ

 ロシアのプーチン大統領は6月30日、日本の商社が参加する極東サハリン沖の石油・天然ガス開発事業「サハリン2」に関し、ロシアが新設する会社に移管し、現在の事業会社の資産を無償譲渡するよう命じる大統領令に署名した。事実上、ロシア政府が接収するもので、ウクライナ侵攻を受けた対ロ制裁への報復とみられる。日本企業が事業を継続できるか不透明だ。サハリン権益「重要な供給元」 ウクライナ侵攻で資源高騰―エネルギー白書 サハリン2の事業会社サハリンエナジーには、ロシア国営天然ガス独占企業ガスプロムが約50%、三井物産が12.5%、三菱商事が10%それぞれ出資。液化天然ガス(LNG)生産量の約6割が日本向けとなっている。大統領令は今回の対応を「幾つかの国などによる非友好的行為に関する特別経済措置」としており、事業会社が新会社に移管されることで、日本の調達に影響が出る恐れがある。

こういった事態は当初から危惧されていた

 

英蘭シェルが2月28日にロシアへの抗議の形でサハリン2を含む全事業から撤退することを表明。しかし日本はというとサハリン2における日本への液化天然ガス輸出量はロシアからの輸入のほぼ全量をまかなっており、日本全体の9%を占めています。英国のようにはいきませんでした。今後、ロシアがこれを逆手に取って日本を揺さぶるだろうとみられていたのです。日本は代替え輸入に米国やオーストラリアを考慮しているそうですが、ただでさえエネルギー高騰の世の中で更に電力の供給不足になる可能性もありそうですね。

 

ここをロシアが制裁してくることは多くの専門家が指摘していました。対欧州へのロシアによる天然ガスの制裁が続き、日本は後回しにされていただけのことだと私は思いますよ。そしてサハリン1。こちらは石油、天然ガス事業ですが、これも次なる制裁に加えてくるのではないかと私は思っています。

 

ロシア外交は自縄自縛

 

ロシアには天然資源による外交力があります。しかし、裏を返せばそれしかありません。

欧州への制裁で資源を出し惜しみし始めていますが、果たしてそれで世界が立ち行かなくるかといえば、答えはNOでしょう。確かに資源高騰は招きます。しかし、ロシアと世界の我慢比べとなればロシアに勝ち目はないはずです。中立国の存在が気がかりですが、西側諸国の手前、好き勝手することはできないはずです。

 

ロシアの実態

 

ロシアは自給自足が出来てしまう国です。国民に不自由はかけるでしょうが、飢え死にすることは無いでしょうね。旧ソ連時代に逆戻りしそうですが、しぶといでしょう。

 

既に食料品の一部が高騰しているそうですが、それでもプーチン氏の国民からの支持率は八割を超えているとか。

 

洗脳かと思ってしまいます。まあロシアは国防としてウクライナに侵攻しているつもりなので、愛国心がある人々の支持を受けるのは矛盾のないことですが・・・。

 

今後の余波

 

しかし、東側諸国というのは価値観が西側諸国と大きく違うのだと痛感させられました。今回のウクライナ侵攻の件です。

 

21世紀になって早22年。未だに20世紀を生きているかのような振る舞いではないですかね?プーチン氏は何を考えているのか分かりかねるのですが、世界をこれ以上混乱に導かないでほしいですね。核をちらつかしたりほんと止めてほしいです。私の持病の統合失調症は妄想型なんですが、これでは持病が悪化しそうですよ。

 

今年の夏の電力大丈夫でしょうかね。天然ガスの1割が今後入ってこなくなるとなると、発電力が落ちてしまうのではないかと思いますが、岸田政権に託すしかないのが実情。不安です。ポイント付与で節電を呼び掛けている場合じゃないでしょうに。みなさんもそう思いませんか?今年の夏は暑くなりそうです。このニュースの件が国民の生活に様々な追い打ちをかけなければよいですが。厳しいですね。今回は初投稿ということで何を書こうかと思ったのですが、ニュース記事を取り上げてみました。お読みいただいたかたありがとうございました。